国立劇場蔵「妹背山婦女庭訓」資料番号05044
吉野ビジターズビューロープレゼンツ「とびきりの吉野の旅」第3段は「池田館長と行く妹背山婦女庭訓の舞台」です。
妹背山婦女庭訓と聞くと、妹山と背山が出てくる歌舞伎だとは思うけれど、実際のストーリーとなると、???となってしまう方も多いのではないかと思います。
同じ吉野を舞台とした文楽や歌舞伎狂言の中では「義経千本桜」が有名ですが、文楽にしても、歌舞伎にしても舞台が鮮やかなのは、この「妹背山婦女庭訓」ではないでしょうか。
この物語は、吉野だけでなく、大和に残る伝承をも題材としており、近松半二、三好松洛らの合作で生み出されました。明和八年(1771)に人形浄瑠璃として初演され、七年後には歌舞伎としても演じらています。
今回の旅は、この物語の舞台をバスで巡り、池田館長がストーリーテラーとして、その地に残る元々の伝承と合わせて御案内します。
吉野スタイルが企画しました。
コース概要 |
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魅力のポイント |
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昔帝の寵愛を失った采女が、この池に入水自殺したという逸話を元に物語が組まれています。
この池の東側には昔は衣掛柳という柳がありました。この池の西側には、采女神社があります。
采女が猿沢池に入水した後、池の西側に社が建てられました。初めは池に向かって社殿はありましたが、自ら命を落とした水面を見るのは恨めしいと思い、一夜のうちに西向きになったと伝えられています。
「昔、三作という子が寺子屋で習字をしていると、そこに鹿が迷いこみ紙を食べ始めました。三作が、鹿に文鎮を投げ付けたところ、鹿は、運悪く死んでしまいました。春日神社では鹿は神の使いであり、鹿を死なせてしまった罪により、三作は掘られた井戸に死んだ鹿とともに入れられ、石と瓦で生き埋めにされました。」この伝説に登場する井戸が、この十三鐘の境内にあります。
昼食は、箸墓古墳前にある三輪素麺やまもとの「三輪茶屋」です。
箸墓古墳を半周した所に苧環塚があります。
「昔、苧環姫のもとに名前をいわず通う貴人がいた。姫はある夜、苧環の糸の端を針にとおして、男の着物の端にさしておいた。翌朝、その糸の先は三輪山の社に入り、家にある苧環にはわずか三輪しか残っていなかった。残りの糸をここに埋めた。」という伝説がありますが、それが苧環塚で、そこから三輪と呼ぶようになったとされています。物語では、三輪という女性が恋する男性に糸をつける場面が出てきます。
三輪という女性は、三輪山の麓にある杉酒屋の娘という設定でした。
実際、三輪山の麓には今西酒造という造り酒屋があります。今回のツアーでは、お三輪の実家を今西酒造と見立てて入ってみましょう。
妹背山婦女庭訓の時代設定は古代の大和です。藤原鎌足と不比等が蘇我入鹿という悪人を討伐するというストーリーにおいては、ある意味蘇我入鹿も主人公の一人です。バスは三輪を出発し、飛鳥にある入鹿の首塚に御案内します。
この景色は立野の河原から見た景色です。
吉野川を挟んだ妹山(左)と背山(右)には、互いに雛鳥と久我之助という恋人達がいましたが、両家は仲たがいの家柄。政治的な背景もあり二人はあの世で一緒になる選択をしました。まるでシェークスピアのロミオとジュリアットのようです。吉野川を天の川に見立てると、織姫と彦星とも言えます。このツアーの翌日は、7月7日七夕の日です。この吉野版ロミオとジュリエットとも言える妹背山婦女庭訓の舞台を訪ねる旅に是非お越しください。